~ 一盌からピースフルネスを ~

アパレシーダの聖母

 伝説によると1717年、ポルトガルの植民地だったブラジルのサンパウロとミナス・デ・オウロ一帯を治めていたアッスマール総督は厳格な気風の貴族であり、時には残酷で民衆から恐れられ、絶対的な権力を持っていました。

 このアッスマール総督がヴィラ・リッカに向かう途中、パライバ川の谷のほとりにあるグアラティンゲッタの町に立ち寄った際、住民が総督の為に祝宴を開くことになりました。宴会で上品な好みの料理を供するためには、魚が必要でした。そこでこの町の二人の漁師が魚を獲ってくることになりましたが、パライバ川には魚がたくさんいるのにもかかわらず、一匹も網にかかりませんませんでした。がっかりした漁師達は、最後にもう一度、網を打つことに決めました。

 すると網を引いたときに何か重いものを感じました。さらに上げてみると聖母像がかかっていましたが、この像には頭部がありませんでした。もう一度網を投げると、今度は聖母像の頭がかかりました。

 漁師たちはこの聖母像の胴体と頭を合わせた後に漁を再開すると、驚くほどの量の魚が獲れました。

 この出来事を聞いた人々は次第にこの漁師たちの家を訪れ、この聖母像を祭壇に祀って拝むようになり、数々の奇跡が成就しました。

 

 

 それ以後、多くの人々の献身によってチャペルが建立され、教会によって受け入れられ認可されました。

 1888年に聖母像はプリンセス イザベラから金と宝石で刺繍されたローブと豪華絢爛な王冠を寄贈され、1930年にはローマ教皇ピウス11世によってブラジルの守護神と宣言され、1980年に10月12日は「聖母アパレシーダの日」として国の祝祭日となりました。

 

 

 興味深いことに地球の裏側、日本の東京では5月の末に三社祭りが行われます。このお祭りは3人の漁師達が東京を流れる川で黄金の観音像(慈悲の女神)を釣った後、大漁に恵まれました。その後この三人を祀った寺が建立され、今日まで崇拝されています。これは628年、現在の東京を流れる隅田川が、当時は宮戸川と呼ばれていた頃の出来事と伝えられています。

 この似通った二つの奇跡が起こった年代は1089年もの差異がありますが、全ての違いを差し置いて、我々ブラジル人と日本人は兄弟である(同胞国)と考えざるを得ません。

2016年10月