【裏千家インタビュー】ブラジル日本移民110周年記念祭典委員会 菊地義治実行委員長~ブラジル日本移民110周年記念祭典に寄せて~
これまではどのような活動をされてきましたか?
-特別な仕事はしておりません。ブラジルに来てから57年経ちますが、ほぼボランティアです。実際にはお寺の仕事を手伝ったり、1995年の日伯修好100周年の時は県人会の会長をしていましたし、委員会にも参加していました。裏千家と関係が出来たのは、1998年の郷土食・郷土芸能祭り(現在で言う日本祭り)の時です。県連の第一副会長をしていました。今は盛大ですが、イビラプエラ公園内のマルキーゼで移民90周年の記念事業として始めました。というのも、県人会活動が停滞していた頃でした。20年前の県人会活動はお父さんがお酒を飲む会という傾向がありました。子どもは寄りつかない。そうではなく、これからの日系社会の活性化、家族や日系社会の皆が参加できるような催しものを作りたかった。郷土食を出して、日本文化も取り入れながら、お母さんも子供達も来る。郷土芸能で皆が集まり収入も上がる…これが1番いいじゃないかと目指したのが移民90周年祭でした。この時が第一回、イビラプエラ公園に5万人が参加しました。どんどん規模が大きくなり会場が狭くなっていったので、今ではExpoSaoPauloでやっています。
移民110周年記念のイベントについては?
-来年は移民110周年祭という冠の中で、日本祭りも一緒に一つのイベントとしてやる予定です。そうすれば新しい趣向も湧くし、新しい人達も参加する。日本の2020年東京オリンピックも招待しようと考えています。そうすると県人会も活性化します。来年は県人会の創立記念式典もいくつもありそれも招待する予定です。日本の食文化で、今世界に注目されているのはラーメン。移民の船が出航したのは横浜ということで、横浜ラーメンを呼び込めるよう今予算を取ろうとしています。
皆が集まって、皆で日本文化を作っていくのに、今は2020年東京オリンピックを控えジャパンハウスもでき、良いタイミング。日本文化を紹介・定着させることにより日系社会もまとまり安定するのではと考えます。ブラジルは民族の集合体だが、良い文化を残していかないといけない。伝統文化は人間を変えていく。ブラジルにはまだまだそれが必要です。
移民110周年記念実行委員長を引き受けるまでの経緯は?
-1990年に県人会長になり、その前はお坊さんと付き合いがあり、寺も3つくらい作っていました。県人会で連合会の役員もしていた際、県連の30年記念誌を作り、当時財政が厳しかったですが何とか立て直しました。その関係で日伯修好100周年の役員をやりました。1997年天皇がいらした際には県連の代表で整理委員長を仰せつかった。移民90周年には日本祭り。その際サントス上陸記念碑も、地方・日本人・日系人・県連それぞれから1レアルずつ寄付してもらうという1レアル運動を実行して、製作が実現しました。2003年の戦後移民50周年では、この時はもう援協に来ていましたが、副会長・財務委員長をやりました。その際皆さんから協力いただいてイビラプエラ公園でまた日本祭りも開催しました。
それから日伯友好病院に声をかけてもらいました。あの頃はまだ経営状態が悪くて、経営立て直し行ってくれないかと当時の会長さんに頼まれて。何とか3年くらいで立て直して、今では黒字経営です。そういった関係で。
素晴らしい経営手腕ですね。お声がかかるのも納得です。
-いえいえ、そんなことは。皆さん、「菊地さんはお寺のお仕事と援協のお仕事と、どちらでお給料頂いているのですか」と聞かれますが、弁当代やガソリン代も全部自分で払ってやっています、といつも言っています。
そうすると「どうして生活しているか」と言われますが…私のモットーはこうです。人に色んなことのお手伝いや協力をすると、自然と自分の方に戻ってくるのです。簡単な方式ですが、必要な分だけ自分の元に戻ってくるということ。本当かどうかわかりませんが、自分は今までそうだったのです。
移民110周年。とても長い歴史ですが、1世である菊地様が後世に期待することは?
-私は19歳でブラジルへ来て、皆さんにとてもお世話になりました。とても貧乏で何もなくて、結婚も出来ないのではないかと思った。それを皆がカバーしてくれて現在がありますので、私の出来ることは、とにかく協力してあげたい。そして移民100周年が非常に大きかったです。援協が今の福祉センターを造るということで私が財政面等々を担当して、日本のお金を使わずに造りました。借りたお金もすぐに返したので、その時に日本の人達との信頼関係が築けました。我々の先輩が築いてきたものが一度途切れたのですね。2世の人が入って来たからというのではなくて、若すぎると言われたのです。それを私は修復して、今その人達と、ブラジルに行った移民の人達を何とか幸せにしてあげたいという気持ちで、病院の増築や老人ホームの改修をしてくれています。
100周年ではブラジルが国を挙げて式典、報道関係、国会まで応援してくれ、日本文化、精神といった日本の良さを評価してくれました。それが形として残らなかったのです。日本人の信用、信頼という意味では残っていますが。
110周年は、150年から200年へ向かっての第一歩だと思っています。これからが本勝負。今度は若い人たちが一生懸命やるんですよ、と。そうでないと、だんだん消えて無くなってしまいます。
世界が今日本の文化や精神面を評価しています。今は精神文化、人間性が一番問われる時代。ブラジルでは、それが疎われて本当に大事なものが無くなり、政治家がお金を取りすぎて社会が悪くなり混乱してしまう。世界の移民が集まった国は、良いものを受け入れながら良くなっていって欲しい。若い3世4世5世が、移住者が持ってきた文化、責任感や勤勉さを受け継いでブラジルをもっと良くしてもらいたい。
一人では出来ません。私が思うのは誰かが始めて、それが少しずつ動いていくということ。誰かが一生懸命にならないと、折角移住者が築いた信頼が薄れてしまいます。誰かがそういう気持ちで動くと、だんだん上手くいく。
今の私の希望は、県連さん、文協さんにもっと元気になってもらいたい。一本では駄目なのですよね。文協は昔から日系社会をまとめていく中核団体。県連は日本との文化交流、人的交流など。援協は人助けで困った人達を助ける。この三本が良くないと、いつかまた駄目になります。三本柱のように皆が支え合っていって初めて、社会は発展するし信頼もされる。一人というのは寂しいですし厳しいですよ。そういう事をきちんと伝えられたらいいと思っています。一人では出来ないのです。ですが日本にも色々なツテがありますし今までの経験もあります。
ブラジルに来てから色々な仕事をさせてもらって、自分では当たり前と思ってやってきた事を評価されました。今回の110周年も若い人達を何とか引き込んで、彼らが120周年140周年に繋がるように覚えてもらいたい。若い人達が一生懸命ですから、彼らに引き継いでいただいて。新しい改革の風をコロニアにも吹かせて、皆が守って来たものを更に良い結果が出るように進めて行ったらいいのではないかと、そんな気持ちです。
ご自身と茶道との関係は?
-移民90年祭の日本祭りで初めて裏千家を見て、皆さん着物も着られて素晴らしいと思いました。裏千家のイベントの司会もやったことがあります。
自分の管轄外の人達と交流したり参加したりすることは勉強になりますし、日本文化の奥行きは深いと感じます。以前大宗匠がいらした時も呼んでいただいて、大変感謝しています。
座右の銘は?
-特別な物はないですが、好きなことは「どんな事でも良い方向に持って行く」「挫折しないでやり通す」「苦労は成功の第一歩」ということです。
お忙しいなか誠にありがとうございました。
2017年9月