~ 一盌からピースフルネスを ~

各地域便り ‐ マリンガの裏千家の同好会

 三十数年まえより、マリンガでは、お茶の会があり、林宗慶先生がロンドリーナとマリンガには、出張教授に、行っておられました。
 1987年には、マリンガ市制40周年を、記念して、『裏千家第15回全伯地区大会』が、マリンガで行われました。その時の、写真を、掲載します。

 10年前より、このマリンガの地に、「パルケ・ド・ジャパン」建設され、中に茶室も作られました。現在は、この茶室で、お稽古が続いています。

 今年、10月14日~10月17日にかけ〈マリンガの大自然の中で茶会〉というテーマで、お茶会を、予定しています。ふるって、応募ください。

 

[PDF]マリンガ大自然中でお茶会といけ花展 -10月14~17日-

 


 

パルケ・ド・ジャパン-メモリアル移民100

 マリンガ市はパラナ州において第3位の規模の日系社会を有し、それはブラジル国内の大規模な日系社会の一つであるとされ、およそ4000家族、約15000人を有し、一世、二世、三世、四世、五世から構成されています。

 この巨大なコミュニティーは、1947年のマリンガ市誕生以来、同市の発展に貢献してきました。この68年間に、日系コロニアは日本文化や価値観を守り続け、マリンガ文化体育協会(ACEMA)を設立するに至りました。

 マリンガ市のコミュニティーは、日本と親密な友好関係を維持しており、マリンガ市と加古川市の間では姉妹都市提携が結ばれており、その提携書は1973年7月2日に署名されました。我々の市には、日本文化を象徴する多数のシンボルが存在します。

 それでも尚、偉大な国である日本とその子孫を称える必要があると考え、マリンガ市は、2006年にブラジル国民そして何よりもマリンガ市民が日本文化とその伝統を尊敬することを示す大規模なプロジェクトを創設することを決定しました。

 その年にパルケ・ド・ジャパン-メモリアル移民100のプロジェクトが誕生しました。当時、マリンガ市長であったシルビオ・マガリャンイス・バーロスII氏が、日本人入植100周年を記念する意味で、工業地域と名付けられた地区での同プロジェクトを起草しました。

 パルケ・ド・ジャパンは、13万平方メートルの敷地を有し、そのうち3万平方メートルが環境保護地域であり、10万平方メートルがこの公園に利用されることになりました。水源や小川が存在し、恒久的に環境保護が指定されている地域であるため、ブラジル森林規定により法的に保護された地域となっています。

 インフラ整備前には、環境整備として、多量の廃棄物の回収、水源の回復・保全などが行われました。

 土地の整備後、格闘技用の体育館、茶室、ギャラリー移民100、イベントセンター、レストラン、そして、多数の鯉が生息する2つの池、石が配置された滝、桜の庭園、竹林、松、その他の日本文化で重要な植物が植林された、面積5万2千平方メートルの日本庭園が建設されました。

 独立行政法人国際協力機構(JICA)並びに加古川市が同プロジェクト実現化のために貢献されたことを強調する必要があります。ブラジルでは、市の他に、ブラジル連邦政府、企業、日系コミュニティーが工事終了のために支援を行いました。

 パルケ・ド・ジャパンは、公式には2014年5月12日に落成され、公益市民社会組織として運営されており、パルケ・ド・ジャパン-メモリアル移民100という名称で、企業家である鈴木エドアルド氏が会長を務めています。

 最近の建設物ではありますが、パルケ・ド・ジャパンにはその美に魅了された何百万人もの人々が訪れます。その他、茶会、研修、文化・スポーツイベントなどが開催されています。日系コミュニティーのみならず、全てのブラジル人によっても誇りとされる場です。

 

ジルセウ・エヘロ・ゴメス
ジャーナリスト
パルケ・ド・ジャパン 第一局長、マーケティング・イベント部部長

 

2016年6月