日本便り –「禅-心をかたちに」展覧会に寄せて
みなさま、ご機嫌よろしゅうございます。日本へ本帰国して早一年が過ぎました。相変わらず慌しい生活をしておりますが、今回は帰国便りとして、京都と東京で行われた禅の展覧会のことについてご報告いたします。
海外で生活していたとき、日本文化について聞かれることが多々あり、その中で一番困ったのが禅に関する質問でした。禅は”Zen”として海外でも広く知られており、茶道は知らなくても禅については少し見聞があるという外国人も少なくありません。実際にAmazonUSAで”Zen”を検索すると約36000冊がヒットするという結果になり、改めて関心の高さが伺われます。
なお、会場内は撮影禁止のため、作品等に関する画像はすべて「禅-心をかたちに- The Art of ZEN from Mind to Form」(以下、禅展 図録)から掲載しております。
1.はじめに
菩提達磨(ぼだいだるま)は、禅宗の祖です。禅の教えは釈迦(しゃか)に始まりますが、禅宗は中国と日本において展開した仏教の宗派です。達磨は六世紀の初め頃にインドに渡来し、その教えは慧可(えか)を経て、慧能(えのう)へと伝えられました。
達磨によってインドから中国へ伝えられたとする禅宗は、唐時代の中国において臨済義元(りんざいぎげん)禅師によって広がり、日本には鎌倉時代にもたらされました。禅は武家のみならず、天皇や公家にまで支持され、日本の社会と文化に大きな影響を与えました。江戸時代に入ると、白隠慧鶴(はくいんえかく)禅師を初めとする高僧らにより、民衆化への普及が進み、現代においても禅は多くの人々の心の支えとなっています。
2.禅展覧会について
禅の展覧会は、禅-心をかたちに-というタイトルの下、臨済禅師1150年、白隠禅師250年遠諱(おんき)を記念したものです。各本山や末寺、塔頭(たっちゅう)に伝わる高僧の肖像や墨跡(ぼくせき)、仏像、絵画、工芸など、国宝24件、重要文化財134件を含む約300件の名宝を通じて、禅を紹介するものでした。
昨年の春は京都国立博物館で、秋は東京国立博物館で開催。両会場とも足を運びましたが、基本的な禅の歴史を展示物を交えながら紹介していく構成は変わりませんでした。また、他に講演会やトークイベント「雪舟 vs 白隠 達磨図に迫る」、尺八コンサート「吹禅のひびき」等があり、少しでも多くの人に禅について見聞を深めるイベント(多くは予約制)がたくさんありました。
茶の湯の観点で見てみると、京都会場は、禅院の茶ということで、唐物を中心に、東京会場は少し時代が進んで、禅の影響を受けた武人の茶道具が中心に展示されていました。 |
唐物天目の多くは、鎌倉時代から室町時代に中国より請来し、四頭茶礼をはじめとした禅宗寺院での礼儀で用いられ、その後、写真の玳玻天目は、江戸初期の茶人である金森宗和が所有した後、加賀前田家に伝わったそうです。
唐物以降の茶の湯の過渡期に関わった人物として、織田有楽があげられます。有楽は、織田信長の弟であり、現在国宝になっている茶室「如庵」を作り、有楽流を創始しました。青磁輪花茶碗「鎹」は、有楽が所持していた茶碗だそうです。
茶入はもともとは油や薬などを入れていた雑器でしたが、日本人が転用したと言われています。今回出品された物の中に、天下の三肩衝の一つ「新田」があります。村田珠光、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が所持した大名物です。また、有楽所持と伝わる文琳茶入「玉垣」も展示されていました。写真では実感していただくのは難しいのですが、「玉垣」は少し小さめで、他に小丸壺もありました。利休の弟子が記した「山上宗二記」には「小壺がいい」とあるように、時代が進むにつれて、比較的小さい茶入が好まれるようになった流れがあるようです。
唐物肩衝茶入 銘「新田肩衝」 茨城・徳川ミュージアム (禅展図録P251 より) |
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唐物文琳茶入 銘「玉垣文琳」 埼玉・遠山記念館 (禅展図録P253より) |
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「新田」も「玉垣」も、大阪の陣で焼失したのですが、奇跡的に発見された破片を漆で継いだんですって! |
3.おわりに
今回の禅展が、禅について学ぶきっかけとはなったものの、まだまだ理解するには恐れ多いレ ベルです。もちろん、これさえ見れば完全理解のようなものはなく、禅も茶道も時間をかけて、身の 丈にあった学び方を続けられたらと思います。
松下初絵
(編集部より)
ご参考:「禅-心をかたちに-」展覧会ウェブサイト
http://zen.exhn.jp
http://zen.exhn.jp/en/exhibition/
2017年5月