~ 一盌からピースフルネスを ~

22. 見得(みえ)

見得とは、歌舞伎の演技・演出で使われる言葉です。感情の盛り上がった場面で、役者が一時動きを止めて目立った表情・姿勢を正すことです。
一般的に使われる見栄と見得の違いは、見栄とは相手によくみられるように、うわべを飾ることで、他人の目を気にして不相応な体裁をつくろうとすることです。見得を切るの「切る」はここでは、目立った振る舞いをする意で、啖呵を切る、白(しら)を切る、などと言います。

ここで歌舞伎について簡略に説明しましょう。歌舞伎の始祖は、出雲阿国と言われ、徳川家康が征夷大将軍となり、江戸幕府を開いた慶長八年(1603年)、新しい幕開けと共に歌舞伎は誕生しました。
お国の歌舞伎踊りが、当時の江戸や京都で流行しました。その奇妙な格好で常識から外れた行動に走る人を「傾きもの」(かぶきもの)と呼ばれ、大きな人気を集めました。この「かぶき踊り」が歌舞伎の由来です。この歌舞伎の構成は、芝居、踊り、音楽の三要素で成り立っています。江戸時代から始まり、女歌舞伎、若衆歌舞伎、野郎歌舞伎と変遷し、現在は男性だけで演じられています。

隈取(くまどり)

京都で始まった歌舞伎は、大阪、江戸にも広がり、寛永元年(1624年)猿若勘三郎が、猿若座、(のちの中村座)を開きます。元禄年間(1688~1704)には、ここで上方(京都・大阪)などの和事に比べ、江戸の荒事という演技様式が生み出され、人気を集めました。
この荒事で、見得を切る演出があります。江戸の初代市川団十郎が考案したといわれ、荒々しく豪快な芸風です。この荒事に、「隈取」という化粧方法を取り入れ、見得で決まったポーズで制止する動きが喝采を浴びました。又「ニラミ」という祝儀として行う所作も生まれ、このニラミは、江戸時代からは、「ご見物の皆様の厄を落とす」という意味がありました。團十郎家に備わった神性さを象徴しています。当代の團十郎は、ニラミが抜群にうまい人で、「まさにこれなら厄が落ちそう」、「縁起物」だといわれました。

さあ~~、皆様もおうちで「見得を切って」みましょう。気分爽快、気分転換になります。大きなポーズで、「おうちで見得~る」です。

 

博多祇園山笠(はかたぎおんやまかさ)

2024年2月