12. 身に入む(みにしむ)
表題の言葉は、聞きなれない言葉かもしれない。しかしこの言葉、「身に入む」は、季語になっている。秋風がひんやりしてくる。人は誰でももののあわれを感じるようになる。こうした秋の思いを誘うような、肌に沁み通っているような感じを言う。染む、沁む、浸む、滲む とも書く。
1、染みる。寒さが身にしむ。2、色などを染める。3、深く心を寄せる
などの意味がある。和歌の世界での例を上げよう。
―ゆうされば野辺の秋風身にしみて うずら鳴くなり深草の里
俊成 『千載集』より
この平安末期の歌仙、藤原俊成のこの名歌の影響により、「身にしむ」という言葉が定着化した。が、俊成の場合、秋風が吹き鶉が鳴く山里に隠棲した自分のさびしい境涯が、身にしみているのだ。つまりこの平安の歌の大きな特徴である「感傷性」が色濃く残り、江戸の俳諧に受け継がれたという。
その他、和歌を数例を挙げてみよう。
―秋吹くはいかなる色の風なれば 身にしむばかりあわれなるらん
和泉式部
―何ごとによらず心は貫くと 云へどわれにも秋は身に沁む
晶子
さて、俳句の世界では、数多くこの「身にしむ」が。季語として使われている。
松尾芭蕉の『野ざらし紀行』や、『奥の細道』に、この季語の作品がある。
―野ざらしを心に風のしむ身かな 芭蕉
―身にしみて大根からし秋の風 芭蕉
又その他、〈歳時記〉に、下のような句がある。
―身にしむや亡妻(なきつま)の櫛を閨(ねや)に踏む 蕪村
―身に入むや齢十九とある墓標 朝妻力(あさつまりき)
―身に入むや芭蕉も訪ひし立石寺 石井邦子
ここの最後の芭蕉も訪ひし立石寺―― あるが、この寺は、別名山寺と呼ばれ、山形県山形市ある寺で、松尾芭蕉、『奥の細道』の吟行の帰途訪れたといわれる。1989年の7月9日に300年の節目を迎えたことで、「山寺芭蕉記念館」が開館した。奥の院まで石段、1015段。一段、一段踏みしめていくごとに、一つづつ煩悩が消え悪縁を払うことが出来る。その素晴らしい景観、静寂の中でさらに映え、只々心が澄み渡っていくようであった。そこで生まれた名句。
―― 閑かさや 岩にしみいる 蝉の声 芭蕉
2021年6月