14. 侘び
侘びという言葉は、茶の湯を表す、代名詞のようになっている。
が、侘び、わびしいという意味は、現代語では、心細かったり、失意の底にあったりする、思い煩うこと。悲しみ嘆くことを言う。わびを入れるとは、謝罪することをいう。
これがのちに、茶道の精神で、落ち着いて静かで、質素なおもむき、閑寂を意味するようになる。その背景には、室町時代の茶人、村田珠光が、それまでの唐物(中国伝来の名器)を用いた荘厳な茶会から、日本の茶道具で行う点茶法を生み出したことによる。珠光は、その点茶法に、禅道の質素な精神を加え、それを「わび茶」と名付けた。その侘びの精神を表現するのに「月も雲間のなきは嫌にて候そうろう」という言葉がある。--雲の一つもかからずに朗々と輝く月よりも、雲間に隠れた月のほうが、味わいがあるという意味で、珠光が生み出した侘びは、不完全の美といえばよいのであろう。このわび茶の概念は、利休の師、武野紹鷗から利休に引き継がれた。武野紹鷗の目指した境地を示す和歌がある。「見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦のとまやの 秋の夕暮れ」藤原定家のこの和歌を、侘びの心であるとしている。
さらに、この理念を茶器、作法、空間をふくめた「茶道」の中に確立させたのが利休である。利休は手でこねて作る楽焼を茶碗に用い、複雑な点前を簡略化した。それまでの六畳、四畳半を、二畳や一畳台目の茶室にまで縮めた。以後はその要素が、整い「わび茶」が完成する。――花は野にあるように――という言葉も、生け花から脱して、茶花といわれる境地に達する侘びの表れである。利休の侘びは、無作為の境地を指しているのであろう。徹底に作りこまれた物より、ありのままにみえるものを好む。自然への回帰である。
2021年12月